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田中明 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田中 明
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県
生年月日 (1977-12-01) 1977年12月1日(46歳)
身長
体重
182 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

田中 明(たなか あきら、1977年12月1日 - )は、愛知県出身の元社会人野球選手(投手)。

社会人時代は最速148km/hの速球スライダーフォークボールを投げ、試合中は気合を前面に出していた[1]

人物・来歴

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名古屋第一高等学校(現:中部大学第一高等学校)では、2年夏にチームが愛知県大会で準優勝を果たす。3年夏はエースとしてチームを支え、県大会の準々決勝で享栄と対戦し、3安打2失点で完投するも0対2で敗れた[2]

高校卒業後は徳山大学(現:周南公立大学)に進学し、2年次には大学選手権へ出場している。4年秋のリーグ戦ではベストナインに選ばれた[3]

大学卒業後の2000年一光に入社。1年目はプロのスカウトも注目する素材であったが、冬のトレーニング中に手首とヒジを同時に痛め、2年目のシーズンを棒に振る。3年目は登板しても打たれ、4年目の2003年秋には成田稔夫監督と相談し、打撃が好きだったこともあって一時的に中堅手に転向[1]。ここで打者に対峙する投手の心理を学んだと後に語っている。

再び投手として臨んだ2004年、一光は都市対抗の東海地区予選で敗退したが、第5代表の王子製紙の補強選手として本大会に出場した。王子製紙の棚橋祐司監督は「1球の大切さを分かっている投手」として抑えに起用。5試合すべてに登板し、うちチームがサヨナラ勝ちした2試合では勝ち投手となった。2勝3セーブ[4]の活躍が認められ、大会の最優秀選手に贈られる橋戸賞を獲得した。なお、同大会での詳細は以下の通り。

1回戦 対NTT北海道札幌市) 9回裏1死から登板(2/3回)、無失点
2回戦 対JR東日本東北仙台市) 7回表1死から登板(3回2/3)、無失点、勝ち投手
準々決勝 対シダックス調布市) 7回裏1死から登板(2回2/3)、無失点
準決勝 対JT仙台市) 9回表先頭から登板(1回)、無失点
決勝 対ホンダ狭山市) 8回表1死から登板(2回2/3)、無失点、勝ち投手

2005年も一光は都市対抗野球大会の出場を逃したが、西濃運輸に補強されて再び抑えを任される。しかし日本新薬との1回戦で7回途中から登板したものの、1-0で迎えた9回裏に先頭打者を四球で歩かせたのをきっかけに連続タイムリーを浴び、逆転サヨナラ負けを喫した。同年オフに一光を28歳で退部し他チームへの移籍も噂されたが、峰竜太が番組企画で結成した「ドラHOTリューターズ」に参加して茨城ゴールデンゴールズとの試合で登板した後はクラブチームなどでの登板はない。

主な表彰・タイトル

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脚注

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  1. ^ a b 朝日新聞、2005年8月2日付夕刊、P.3
  2. ^ 朝日新聞、1995年7月29日付朝刊、愛知地方面
  3. ^ 朝日新聞、1999年10月19日付朝刊、山口地方面
  4. ^ 社会人野球ではセーブを公式記録とはしていない

関連項目

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